利用条件
- チャンネルの購読はのに限られます
- チャンネルの購読はに限られます
- チャンネルの購読はに限られます
- チャンネルの購読はに限られます
- チャンネルの閲覧にはEating Disorderへのアカウント登録/ログインが必要です
注意事項
- 購読ライセンスの期限を超えると、チャンネルを閲覧できません。購読ライセンスを新たにご購入ください
- 一度ご購入された購読ライセンスの返金はできません
これまでのご利用、誠にありがとうございました。
ちょっと太ると「あ、わたしダメだ、価値がない」と思ったり、逆に痩せるとそれが自信になる。これって何なんだろうね。本当にその価値感でいい?この自分の価値の測り方は何? 誰かに認められたい、価値があることできっと認められる、これは誰にでもあるし、あっていいよね。俯瞰してみたとき、自分の価値の大きさは痩せの方向にベクトルが向かうと大きくなる。価値は痩せの増加関数なのかな。 でもさ、国境を越えると「ふくよかであること=美」という考えもあるんだよね。モーリタニアとかよく言うね。これはふくよかの方向にベクトルが向かうと自分の価値が大きくなる。 何なのこの違い?って思ってた。今のわたしの暫定解はどっちが難しいかってことじゃない?痩せキープとふくよかキープとどっちが難しいの?って。困難なことは加点評価するし、簡単なことは減点評価される。より高得点を目指すなら困難なことをやろうとするのでは?高得点をとればとるほど、他人と差がつく、差がつくと「誰かのあなただけ」「あなただけ特別」になりやすい、そんなところないかな? 女性に多いのは女性はアベレージ主義だから。アベレージが良い方を価値が高いと思ってる。だから学歴があっても歌がめっぽう上手くても運動神経バツグンでも、美でも高い方にありたいのだ。美の基準は何が難しいか、飽食の日本で難しいのは痩せることでしょ。モーリタニアとか太る=プラスの国は普通にしてたら痩せていくのかもしれない。確かではない。 これに加えて体重ってのは体重計にのれば痩せたか太ったかすぐわかるから、わかりやすさが人をこの基準に飛びつかせる。人が飛びつくような需要がある。需要があるところには供給が発生するんだ。ここにビジネスが生まれて、しかも痩せるって大変じゃん?人の生来の機能として大概は太りやすいんだから。何度も失敗したりして、需要は発生しつづけるわけよ。こんなお得はビジネスチャンスないのよね。だから「痩せ=美」を人々に擦り込ませなきゃ!ってなる。擦り込んだ結果が摂食障害なんだけどね。 根本は絶対に人が持ってる承認欲求なんだろうけど。これ自体悪いものなわけじゃないよね。難しいのぉ。 でも、どんなに痩せても、それが承認されることにはつながらないんじゃない?つながることがもしかしたらあるかもだけど、そんな痩せたら貰える承認が欲しいのか? 承認されるのはどんな人?もしわたしが承認する側なら、ミニマムは信頼関係を築けるか否かだけど、欲を出せば相互にベネフィットを与える関係を築ける人だなぁ。ベネフィットは何でもアリ。ただ単に一緒にいたいと思ったらもうベネフィットだからなぁ。最終的には誰かに一緒にいたいと思ってもらえる人になるには痩せに執着しすぎなくていいってことだと思う。
嘔吐が、ただの『こだわり』ならば、 外食で嘔吐をできなくてもパニックにはならないし、 しんどいときは嘔吐せず寝たり休んだりするだろう。 あくまで自分が楽しく明るく生きることが主体で、そのための『こだわり』にすぎないのならば、パニックという事態にはなりえない。 嘔吐が病気になる境界線は、 嘔吐できない状況に異常な不安や焦りを感じることだ。その状況に耐えられないことだ。 それは主体が私ではなく、『嘔吐すること』になっていて、 『嘔吐すること』がもつリードの先に首輪をつけた私がいる状態だ。 自分が幸せになるために、楽しく生きるために痩せたかったはずが、 自分の幸せを潰してまで『嘔吐すること』を止めれなくなっている状態だ。 『嘔吐すること』を叶えるために自分の幸せをも捨てている状態だ。 痩せて手にいれたものなんて、実はたいしたもんじゃない。 本当にくだらないものだらけだ。 痩せてなくても手にはいるものだらけだ。 失うものの方が何倍も多い。 今日も考えながら、まだまだ支配されながら、生きます。