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これまでのご利用、誠にありがとうございました。
理論的にかつ現実的にこうしたらいいじゃないってことを結構つぶやいてきたけど、 ちゃんと現実対応できること、これはものすごく重要だと感じてるのも事実だけど、 ほんとはほんとは、わたしの根っこは、 「わたしはあなたのこんな悪いところ汚ないところを知っている。わたしはあなたのこんな良いところ美しいところを知っている。そしてわたしはあなたがそれ以上のもっともっともっとそれ以上の存在であることを知っている。」 こう言われたことを、人というものに感じれること、これを目指していると思います。 ある学者の方が仰られていたのは、 「人を本当の意味で愛するためには、人を本当の意味で理解しなければならない」 だから、わたしは今の研究をしているのかもしれない。結局、わたしは人を本当の意味で愛するためには人を理解したい、いやほんとは本当の意味で自分を愛するために自分を理解したいのでしょう。 本当の意味とは価値判断を超えたところにある存在の肯定、自己受容なのかなぁ〜 自己受容それ自体は人が生きる上で要のようなものなはずなのに、ふわふわしててわかりづらいから、最近は少しこの上辺の素敵感を嫌ってきておりました。 抽象度が高いほどわかりづらいし、難解だからすぐに分かった気になってしまう。ここが嫌なだけなんだけど、大事なのは大事だし、自分に欠けてるからなぁと思っていました。 だけど、自分が充足感を得られるいまやっていることを淡々とこなしていく。これが行動レベルでわたしに自己受容をくれます。 日々、やるべきことを懸命にこなしていく。賢明にこなす必要などないのです。これを混同しがち。懸命とはDo my bestであって、上手くやるDo wellではないのです。wellの最上級がbest... 上手いことやるより自分の出来うる限り、この方が上なんだよ。と自分に言えるようになってきた最近です。