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完璧になりたかったわたしは完璧について調べました。 本来の意味は「傷のない玉」笑 Googleせんせによると、中国の故事に由来するとな。戦国時代の趙にあった立派な璧(玉)を秦国王が欲しくって欲しくって「お城と交換してくれろ」と召使いに言いに行かせたんだけど、「だーめ、あげねぇもん」って言われたから、その召使いが命懸けで持って帰ったらしい。それが「完璧而帰」という故事になったとさ。 え、単なる窃盗なんですけれどw 命懸けという文字から妄想すると強盗なんですけれどww もっと妄想して死人が出てたら強盗殺人なんですけれどwww おい、強盗殺人って、めちゃめちゃ量刑重いでっせ。なんでそれがこんな風に現代まで伝わったのさ。 って、思ったら「完璧」なんてばかばかしくなってしもたというわたし。わたしは傷のない玉になりたいわけではありません。傷ついたり埃かぶったり錆ついたりすることが往々にしてあったとしても、磨けば光る金になりたいのじゃ。 我が母のことば「あなたがそう望むなら、剥げれば終わりのメッキではなく、磨けば光る本物の金になりなさい。」 わたしは傷つきもする濁ることもあるモノホンの金になりたいだけで、傷のない玉はどうでもよろしおす。 自分が本当に望むこと、これはよくよく言語化して考えなければなりませんね。
今日はひとつ学んだことがありました。 人にはその人なりの論理というものがある。 これはそうなんだけど、私は私自身の論理をわかっていただろうか? 汽車の発車駅と終着駅はわかるのに、その間の線路を途切れずにひくということ、これは本当に難しいことだとつくづく思いました。 自分より外側の自分の感情と切り離して思考しうることに関してはまぁ難しいけど何とかなることも多い(かぁ?わたしの場合違うかも)でしょう。言い切ってしまった汗 しかし、自分の内側、感情は時にアンビバレントなんですね。そうすると、「【起】がこれで、【結】がこれね……ファ?!」ってことが往々にしてあって、しかも「【承】と【転】なんやねーーーん!」って関西人丸出しのツッコミしちゃう。 自分の論理をわかるってこんなに難しいのか…どうにかわかるようになりたいなぁと1つ願いました。こんなことも私はわからずに生きていたのかぁと思ったけれど、「自分ってほんとうにわかってないなぁとシュンとなるとき、それは輝かしいことなんだ」とそんな風なことを言ってくれた人を思い出しました。
happiness つまり幸せ、になるにはどうすればいいのか?と質問する。するとドラッグでもすればと言われる。彼らにとっての幸せとはwell being つまり何もない平凡な日常を過ごすことが目的という、ことなのだがどうだろうか?
わたしの頭の中でかなり前から絡まって絡まって絡みまくってるこの必要条件と十分条件。 もちろん意味は理解してます。「AであればBである」が真である場合(正しい場合)、AはBに対する十分条件である。またBはAに対する必要条件である。つまり、AがありゃBになるんならAはBを実現するのに十分だし、BがあるってことはAが必ず先立ってあるんだからAが存在するために必要だよってこと。 で、こんなん中学かそこいらで学んだことで理解してるけど、頭ん中で使えてないwっていうどうにもおバカさんなわたしです、はい。 「摂食障害がなければ幸せなのに」にしよう。これ思ったことある人多いと思います。幸せの定義って何って感じだけど、何かしらの自分の望みが叶ってる状態ってことよね。 例えば、素敵な恋人がいるとかやりたい仕事に就くとか。 これってwithout摂食障害が十分条件で幸せが必要条件ってことなの?本当か?そのまま当てはめたらそうだけど、まず前提として「without摂食→幸せ」が真でなけりゃだめでしょ。摂食が無くなった途端自動的に素敵な恋人が目覚めたらいるわけ?摂食が無くなった途端自動的にやりたい仕事が降ってくるわけ?違うやん。摂食がなけりゃ悩みは1個消えて何かやってのけるコンディションは良くなるやろうけれど。頭の中のこの矢印危険じゃない?って最近思ってます。 この矢印を使う理由は薄々感づいてはいたけど、幸せでない言い訳に摂食を使ってるんちゃうかって気づきました。 結構摂食の人に多いらしいんだけど、主語を大きくするのは結構危険なので、わたしは自分で言うのも何ですが理想高い系です(完璧主義って言うより理想高い系の方が合ってると思う)。理想高い系の幸せってめっちゃハードル高いんですわ。今日もあったかい布団で寝れて幸せとかいう人が心底羨ましいんですけどね。このハードルを乗り越えるには血を吐く努力が必要だったりするかもしれない(と思っている)。そんなことするのしんどいじゃない、辛いじゃない。で、言い訳矢印「摂食→理想が実現しない状態」。そしたら楽チン楽チンなわけです。矢印見つけたのに症状なかったら意味ないから、無意識的に症状を呼び起こしたりしてしまう。 そんなことが起こってたりするんだけど、ほんとに欲しいのは何なのさってことが重要なんじゃないの?理想実現ってやつでしょ。理想は実現しないから理想なんでいつまでもあり続けるんだけどね。ってことは理想に近づくことが欲してることでしょ? だったら、摂食のことは置いといて理想に毎日1歩ずつでも進むことに日々を費やしたらどうなのかしらね?ってグサグサ自分で自分にトゲを刺しております。 「〇〇があったら/なかったら〜なのに」っていう「〇〇→〜」これが本当に真で、〇〇が十分条件か、〜が必要条件か、これちゃんと整理しなあきまへんなぁ〜。 物事の道すじって1つじゃないから仮に上のが真だったとしても、「△△→〜」のバージョンもあるわけで、〇〇とか△△より〜にコミットした方がいいんじゃない?っていうそういう呟きでした。
「好きなことして生きていく」これってなんだか最近流行っているのかしら? わたしがここのところ心配しているこの言葉。これ勘違いしている人が多いんじゃないかな〜って。「人様のことは余計なお世話でございます。」って言われればそれまでだけれど、私自身以前まで勘違い女だったので少しつぶやきたいのです。許してちょ。 「好きなことして生きていく」≠「楽なこと」 「好きなことして生きていく」≠「楽しい感情オンリー」 でしょ。前者はよっぽど考えの足らない人でなかったらわかる話だと思います。 けど、後者って結構こういうの探している人いるんじゃない?わたしがそうでした。好きなことなんだから、途中の努力も楽しくて仕方ないし、負の感情ナッシングみたいな。だから努力してる気ゼロなのにいけいけどんどんでスイスイ向上していくみたいな。 いやいや、これはよっぽどの変わった嗜好の持ち主でなきゃないんじゃないかしら?それからこういうの探してる人はほんとの望みは負の感情の拒絶だったりして… 「あぁ、辛い、面倒くさい、しんどい。」「あぁ、ダメだったらどうしよう。怖い。」これ大事なんじゃないでしょうか。わたしいつもこういう感情感じてるけど、最終的に「でもやるんでしょ?バカな子、わたし」ってなるんです。どんだけ負の感情あっても「やるかな」ってなること、これがほんとの好きなことなんじゃないんですかね? 物事は多面的だから、やっててハッピーな面もあれば、アンハッピーな面もありますわ。その割合がどうこうって話じゃなくて、プラスマイナス含めて自分にとってどういう存在かってことでしょ。人間だってそうだと思います。プラスマイナス両方あって、それをわかった上で自分にとってどういう存在か。人も含めてすべての物事はプラスマイナスを超えた存在なんだろうな、って最近お腹に落ちてきたし、きっとプラマイ超え存在の組み合わせの違いが個性とかいうものの一部なのかもしれませんね。 今の自分自身に言いたいのは、好きなことだってやりたいことだって、辛いことはあるし、疲れることもある。怖いこともある。けど、それを超えたいか超えたくないか、つまりそれを超えてやるのかやらないのか。結局はこの二択なんでしょ。結局やるなら、どんな負の感情かとかぶっちゃけ関係ない。やることやる。 これ自己治癒期間おわった今だから前向ける言葉だけど、昔のボロボロの私には厳しすぎただろうなぁ。何事も適切な時期というものがあるみたいね。