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ヒトの感情や行動やそれをつかさどる脳や神経に関心のあるわたしですが、 ぽけっと今日考えていました。 人間の幸福度や不幸度って分析しようというとき、binaryな数値で測ったりするんですが、要は「幸せ度を1〜10の整数値で言うとあなたの人生はなんぼや?」と聞いて5とか7とか答えてもらって、その人の幸せ度を測ります。 で、まぁ人の幸せ度のスケールっていうのかな、それって違うやん!って言うのがこの世界でよくやられる指摘。すなわち、Aさんにとっての幸せ度5とBさんの幸せ度5って違うくね??っていう指摘です。 そう、だから同じ事象に対して幸せを1しか感じない人もいれば10とか感じる人もいる(もちろんこの数値に絶対的意味はない)。 まぁ、そりゃそうだろっていう指摘ですよね。1つの研究領域としての弱点ではあるから、わたしみたいなこういうことを生業としてる人間にとっては問題っちゃ問題なんですが。 で、別にそんなんええんですわ。完璧なものなんてないし。そこじゃなくて、こんな当たり前の指摘を考えてたら、、、 「わたしが反応するすべての物事に対する感情って、まじでこの世で1人じゃない!毎日1分1秒感じてるその感じって、誰も真似なんてできないんだ!」 「それってなんか良いよね〜素敵よね〜、だっていわば奇跡なんではなかろうか!(反語)」 ってひとりで素敵がっていました。幸せなやつやなぁ〜こんな当たり前のことで素敵がれるなんてಠ_ಠ笑 でもよ、こういう当たり前のことを当たり前だから普通は意識下にのぼらないんだけど、たまーに当たり前のことを当たり前なんだけど意識にちゃんと刻んでいる人がいて驚くのであります。そういう人は生まれつきなんかなぁ〜?? わたしみたいな凡人はいちいち当たり前のことに気づいていかなならんのですが、結構こういうの好き♡ わたし的すてきってやつです。 あ、補足ですが自己申告の幸せ度って数値できいても比べられないから、血圧とか唾液のストレス値とか脳のFMRIとかとったりして客観的な数値に落とし込むみたいなこともやったりするらしい…まじ素敵すぎる。やってみたすぎる。
今日はひとつ学んだことがありました。 人にはその人なりの論理というものがある。 これはそうなんだけど、私は私自身の論理をわかっていただろうか? 汽車の発車駅と終着駅はわかるのに、その間の線路を途切れずにひくということ、これは本当に難しいことだとつくづく思いました。 自分より外側の自分の感情と切り離して思考しうることに関してはまぁ難しいけど何とかなることも多い(かぁ?わたしの場合違うかも)でしょう。言い切ってしまった汗 しかし、自分の内側、感情は時にアンビバレントなんですね。そうすると、「【起】がこれで、【結】がこれね……ファ?!」ってことが往々にしてあって、しかも「【承】と【転】なんやねーーーん!」って関西人丸出しのツッコミしちゃう。 自分の論理をわかるってこんなに難しいのか…どうにかわかるようになりたいなぁと1つ願いました。こんなことも私はわからずに生きていたのかぁと思ったけれど、「自分ってほんとうにわかってないなぁとシュンとなるとき、それは輝かしいことなんだ」とそんな風なことを言ってくれた人を思い出しました。
「好きなことして生きていく」これってなんだか最近流行っているのかしら? わたしがここのところ心配しているこの言葉。これ勘違いしている人が多いんじゃないかな〜って。「人様のことは余計なお世話でございます。」って言われればそれまでだけれど、私自身以前まで勘違い女だったので少しつぶやきたいのです。許してちょ。 「好きなことして生きていく」≠「楽なこと」 「好きなことして生きていく」≠「楽しい感情オンリー」 でしょ。前者はよっぽど考えの足らない人でなかったらわかる話だと思います。 けど、後者って結構こういうの探している人いるんじゃない?わたしがそうでした。好きなことなんだから、途中の努力も楽しくて仕方ないし、負の感情ナッシングみたいな。だから努力してる気ゼロなのにいけいけどんどんでスイスイ向上していくみたいな。 いやいや、これはよっぽどの変わった嗜好の持ち主でなきゃないんじゃないかしら?それからこういうの探してる人はほんとの望みは負の感情の拒絶だったりして… 「あぁ、辛い、面倒くさい、しんどい。」「あぁ、ダメだったらどうしよう。怖い。」これ大事なんじゃないでしょうか。わたしいつもこういう感情感じてるけど、最終的に「でもやるんでしょ?バカな子、わたし」ってなるんです。どんだけ負の感情あっても「やるかな」ってなること、これがほんとの好きなことなんじゃないんですかね? 物事は多面的だから、やっててハッピーな面もあれば、アンハッピーな面もありますわ。その割合がどうこうって話じゃなくて、プラスマイナス含めて自分にとってどういう存在かってことでしょ。人間だってそうだと思います。プラスマイナス両方あって、それをわかった上で自分にとってどういう存在か。人も含めてすべての物事はプラスマイナスを超えた存在なんだろうな、って最近お腹に落ちてきたし、きっとプラマイ超え存在の組み合わせの違いが個性とかいうものの一部なのかもしれませんね。 今の自分自身に言いたいのは、好きなことだってやりたいことだって、辛いことはあるし、疲れることもある。怖いこともある。けど、それを超えたいか超えたくないか、つまりそれを超えてやるのかやらないのか。結局はこの二択なんでしょ。結局やるなら、どんな負の感情かとかぶっちゃけ関係ない。やることやる。 これ自己治癒期間おわった今だから前向ける言葉だけど、昔のボロボロの私には厳しすぎただろうなぁ。何事も適切な時期というものがあるみたいね。