利用条件
- チャンネルの購読はのに限られます
- チャンネルの購読はに限られます
- チャンネルの購読はに限られます
- チャンネルの購読はに限られます
- チャンネルの閲覧にはEating Disorderへのアカウント登録/ログインが必要です
注意事項
- 購読ライセンスの期限を超えると、チャンネルを閲覧できません。購読ライセンスを新たにご購入ください
- 一度ご購入された購読ライセンスの返金はできません
これまでのご利用、誠にありがとうございました。
どこまで振り返ったか惰眠を貪り過ぎて大脳新皮質低下(´・ω・`;) そうそう、3年目までを簡単に振り返って、主に3年目の行動に焦点を当てていたのよね。まとめると、 【1年目】問題の露見(幼少期の頃やそれにより形成された思考回路に関して) 【2年目】過去の傷への対峙 【3年目】2年目の尾を引きつつ、「癒し」「自己受容」へのウソコミット でしたかな。このウソコミットプロセスについてが前半でした。 わたし、この抽象概念にぽわわわんの時期をバカだなぁと思いながら愛しています。騙し騙しの不適切な癒し/なぐさめ、これがないと今のわたしはなかったので。 過去の傷(なんやねーん)に向き合ったわたし、2年目時点でもう辟易としてしまっていたんですね。心の筋力年齢85歳くらいでしょうか。なんせガッツがなかった!!! あの頃のわたしの自己受容って痛かった、めちゃめちゃ。痛みに耐えうる、耐えうるけどこれ以上いくと崩壊しますよというレベルになります。その崖上ギリギリで選ぶんですよ、「まっしゃーない、これがわたしか」と。 まぁうまく出来てる人はこんな方法とりませんわ。大人になると理想と現実のギャップを嫌でも見なければならなくなって、かっこわるい自分を見なきゃいけなくなります。大抵の人はそんな自分をちらっちらっとみつつ、気持ちに折り合いをつけていくんでしょう。みなさん、ほんと折り合いの付け方がうまいと思う、尊敬してしまう!!♡ わたしはまぁ下手なのですよ。理想を潰れるやろ!ってくらい握りしめて生きています。だからといって現実を全く見ずに生きることもしないので、ギャップがわたしを押してくる、崖まで。こんな方法をとるので、ウソコミットで自分を認めたつもりになってガッツを貯めるしかなかったわけです。同時にしていた「摂食を知る」という作業が痛くてこれがモノホンの自己受容につながっていたのは今となっては衝撃ですが。 3年目は自己受容(スパルタ式)しつつ、自己受容の際の痛み緩和のためのウソコミット(当時はこれが自己受容と思っていた)をしていました。ちなみに、これは過去へのフォーカスだったかなぁと。で、4年目(今年)はどうにもならない過去に縛られることなく、現在〜未来に対処していくことになります。3年間今につながる過去をみて癒して立ち上がれるようにしてきたわけです。傷は手当てしなければ、次には進めませんから。いま、「癒し→→→自己成長プロセス」の最後地点にいる(これからが長い気が…笑)と思います。 胸に刻印したことをまとめると、自己受容っていう聞こえいい抽象概念ながめてても、それは自己受容ではなくて、具体的に何が問題か(ここではどの自分に苦しんでいるのか)をみてそれを緩和するには何をしなければならないのかを考えていくことかな。わたし崖上ギリギリ自己受容はもうやめました(。・ω・。) どういう方向に転換したのか(今年のこと)は…… はっ!!!書くと予告したのに書けてない(°_°)(°_°)(°_°)なんてことだ!!
ぽわーんとした抽象概念について考えることがありました。 それが何かというのは全く問題ではなくて、抽象的癒しと自分との関係性の変化を振り返ることにつながりました。 具体的に時系列にそって話すと、摂食障害になって最初の半年でカウンセリングに通い始めました。それはだいたい1年半くらい続いたでしょうか。カウンセリングを途中でやめた(本筋と離れるので理由はまたこんど)のですが、その後はよくよく本を読みました。 「摂食障害」「自己啓発」「精神世界」と名のつくものはその時にヒットする限りにおいて読みました。この頃(2年目後半から3年目)、読み物は2つの目的をもつものに分けられた。 1つ目は摂食障害の構造把握にありました。一般にどのような人がどの症状を帯びやすいのかを医師のブログ/YouTube〜心理学の学術論文を用いて理解に努め、わたしというケースに当てはめるという作業の繰り返しを思い出します。目を引くものはだいたい自分に当てはまっているもので(自分の中にないものは気にならない)、それを許容できない間は苦しかりました。最終的にはどうにも限界がやってきて(自己存在否定に耐えらられない状態)、「そんなこともあるかぁ〜/仕方ないかぁ〜」と納得せざるを得ないのですが。 2つ目は(今となって理解されるのは)癒し/なぐさめでしょうか。「自己受容」がメインだったかしら(基本的に自己啓発系が言ってることはこれが多い)。その頃のわたしは「自己啓発」と「精神世界」の本を読み、自己受容の大切さを感じては「自分で自分を認めてよいのだ」となぐさめを受けていました。もっと的確に言うと、観測不可能な心のこと・普段人がそこまでフォーカスしないことをわたしは知っているとして1stage上がることで自分を満たしていたと言えます。わたしの癒しの正体は他人より一段上にのぼる癒しでした。「人より優れていると感じること」があらゆる局面(容姿、頭脳、人柄、学歴…)においてmost importantなわけです。そこには「優れていれば必要とされる大切にされる」「優れてるんだから大切になさい」という思い込みがありました。この回路根強く今も残っていますし、時には脳がわたしにそんな回路ないと嘘をつきます。 この2つをまとめると、2つ目がわたしを強くしたと勘違いしていたけれど、そこにある「自己受容」とは具体的には何なのよ?何をしたら自己受容なのよ?ってことの具体案が抜けに抜けていました。抽象的概念「自己受容」の耳に聞こえのいい感じに、ぽわーんとなっていただけなのでした。1つ目は対照的に感情から一旦離れるプロセスを経て自分に落とし込むという具体的作業で、基本後半の落とし込みは苦しいんだけれど山を越えればどしっとした落ち着きを帯びるというものでした。 ※優れた自分must回路に感して、「人より優れたい」というのは人間本来持って生まれるものらしい。。。(たまに無い人いるけど笑)この問題点は「優れる」=「勝手に/自然に/automaticallyに愛される」という結びつけなのだと思っています。 今年のコミットの仕方を書くと長くなるので、つづきはまた書きます。 長い、長すぎる(;ω;)
「いっちょあがり♪」これ、わたしよくやってしまいます。 「お、数日/数週間症状ないよ。いっちょあがりか?」「お、タスクが進むよ〜スイスイスイ。いっちょあがりか?」このときキラキラいけいけどんどんな感情です。『素敵』ですね〜ほんと『素敵』です(括弧付きですよ!)。 おい、ちょっと、そこのたぬきさん。あんたまたやってしまっておりますよそのいっちょあがり思考。危険でっせ。わたしの経験上こんな積極的ないっちょあがりは存在しません。いっちょあがり魔法は解けます(悲しいけど解けないともっと悲しい)。な・ん・で・か、「頭の中だからだよ〜ん」と今朝気づきました。 この手のいっちょあがり(キラキララメ付き)は客観的事実からは生まれないのよね。摂食の方は0か100か思考が多いらしいけど、わたしそれです。ほとんどすべてのものは0か100の区分に分類されることはないのに、0か100に分けます。ここでのいっちょあがりは0か100かで言うと100寄りの現象をキャッチして「分類100ですよ、あなた」をしています。そりゃテンションあがりますよね。『満足満足』ですね。でも現実100ではないので、頭の中と現実が乖離します。それに気づいた瞬間、魔法が解けるという…はい、ここで絶望(°_°)しない!!ようにしましょう。かつてのわたしはここで絶望(0にクラス替え)しているわけです。心と身体は連動するから0⇄100の連続的クラス替えは結局どこにも進まないということになります(?)(ここ自信ないな…違うかも笑)。 つまり、実感をもって言えるのは、頭の中ばっかり見てると良いことないよね〜ってことです。だからと言ってね、現実見て「いま地点75」「いま76?んー、76.1かな?」とか出来ないわけです。そんな能力ないです。でも、それまで50地点だったひとが70地点になったら嫌でも気づくわけで、そういうときって「あ、そういえば数ヶ月前に比べて症状溶解してない?そうかぁ〜」とそんな感情に起伏ないです。だって事実通りの認識してるだけだもん。 あと、「そういえば」ってのがねイイね〜イイね〜って思います。その問題、今まで忘れてたわけでしょ?保留してたわけでしょ?「わからないことは保留する、そして通常の営みに戻る」イイね〜です。この感情を表すことばがイイねしかないのは語彙に乏しく悲しい(´・ω・`) 最後、ほんと最後だけど(長くなっちゃうから汗)感情の起伏ないほうが良いのかといえばそうではないです。人間ですから感情に巻かれたっていいじゃないって思います。但し、実生活に支障をきたして嫌だなぁと思わない範囲でって感じかなぁ〜支障をきたすことまでは良しとしているですかね。いっちょあがりしちゃうのもだいたいは仕方ないです。前にまじかなわない方(かなうかなわないとか言ってる時点で失礼)で同じ地球上で息してんのかすごいなって方が「人間の生存能力として脳みそ活動によるエネルギー消費は最小にしなければならない。だから、わかっちゃったことにする、いっちょあがりにする。」と仰ってました。今の時代、脳みそ使って死ぬことないので、そこ頭ん中と現実(わたしが見てる現実であるとわかった上の現実)みて脳みそ使っていきましょうよ、たぬきさん。と自分に言い聞かせました(今、右手ビシーッのポーズしてる)。 こんな長いのを読む人がいたら、本当にすごい!誤字脱字チェックで読んでて自分で眠いもの…でも整理になって良きかな良きかな♡
何故か写真UPれないんだが。 就活始めたんだけど、全然上手くいかない。 今日は、面接をすっぽかしてしまった。 いかんなぁ/(-_-)\ 気付けば、3日間ひきこもりだ。 明日は出掛ける予定だけど、、 なんだかなー。 最近、新型うつって呼ばれてる奴と変わらん。 遊びには行けるのに仕事や学校は休むって奴。 ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙
対人関係療法を終え、2ヵ月。一旦は良くなっていたと感じ、ある程度の自信もついていた。 しかし1ヵ月程して、ここ最近は再び毎日のように過食嘔吐。酷く気分も落ち込み、以前のように1日中不安な日が続いています。 が、しかし!今度は「摂食障害から回復するための8つの秘訣」という本を読んでいます。 この本は、対人関係療法ではないですが、私が通っていた病院のオススメの本と出ていたので。。 内容は、まだ全部理解できませんが、この本も希望を与えてくれる内容だと思いました。回復は一直線ではなく、紆余曲折するのが当たり前。( ̄∧ ̄)(_ _)フムフム・・・ 今の自分には助けになる言葉です。どんな状態でも、まずは今の自分の位置を知る。それから対処していく方法を丁寧にやっていく。 地道な作業ですが。やってみようと思います。ま、気分が乗らない時はやりませんが(^^;自分のペースでじっくりと。
はじめまして。りぃです。 初投稿になります。なんだかバクバクとしている心の臓(。・ω・。) 何を投稿しよーかなーとぽっくり考えてました。 最近してることにしましょ。 「なんだかいやだなぁ」「なんかかなしい?」時、ハートに何か自分としては好ましくないものが付着している時(ここではハートという表現か相応しいと思う)、やっていることがあります。 まず、「これはなんじゃらほい?正体を突き止めねばなるまい」と、両腕に抱えた謎のそれを見えやすいところに置きます。観察・推理するためにはこの作業が不可欠。ここですかさずコナン君の推理ポーズです(もちろん心の中で)。しばらく静止… で、まぁ何も出ません。そんな賢くないわたし。論理を組み合わせた何某かはでますけど、それたぶん嘘です(現に薄っぺらくて何か違う)。 なので置いときます。そして普段の生活に戻ります。おわり(・ω・) 何も生まれようですが、これわたしには良いです。お気に入り登録してしまいました。 一周外に出てこの行為を眺めると、詰まるところ、感情の客観視により感情に飲み込まれなくなるってだけですね。もっと外側から見ると、飲み込まれても良いんですけどね。わたしは飲み込まれる頻度が高い人なので。(何事も程度問題に落ち着くのか…中庸然り) 無駄に長い投稿で意味あったのかなぁ〜 でも文章化すると何周も何周も外側から見放題で良いですね♡
摂食歴(非嘔吐過食)4年目になります。症状溶解中です。(たぶん溶解度5) 友人に「りぃは顔がTHE☆たぬき」という告白をしれっとされましたので、ネットから流用した野性たぬきの画像をプロフィールに使っています。 よろしくお願いします(。・ω・。)